0:07 ハレルヤ歯協会の三浦亮平です今日はね
0:10 こういうテーマでお話しします沈黙を読ん
0:15 で考えた信仰の強さと弱
0:19 さえ目次
0:25 ですまず1番目正直な感想ね小説沈黙を
0:29 読んだ正直な感想で感じた違和感について
0:31 お話
0:36 で2番目にぽっかり相たな進学的欠損背景
0:40 にねまこういうことがあるんじゃないかで
0:45 3番目え結論になりますね信仰の弱いもの
0:48 強いものって何だろうっていうのをねえ
0:52 考えていきたいなと思い
0:56 ますはいまずね正直な感想いくつかの違和
0:58 感ということですけれど も
1:00 も
1:05 え沈黙という小説ねまとってもあの有名
1:11 ですよねあのでも私これまで読んだことが
1:15 なくって今回初めて読みましたというか
1:21 遠藤修作誌の作品読んだのも初めてかな
1:24 はいなんかこれまでね縁がなかったんです
1:29 よねまでもますごい影響がある小説なんだ
1:33 なっていうのが分かってですねまあ1度
1:36 読んでおかねばなる前かね結構ノン
1:39 クリスチャンの人でもねクリスチャンで
1:43 ない人でも沈黙をネタにまキリスト教って
1:46 こういうものだとかねお話してる方は結構
1:49 いらっしゃってねどんなもんだろうと思っ
1:52 てねえ読んでみたわけです
1:57 ねで荒し筋ですけどもまあのあ思いっきり
2:00 ネタバレしていきますので
2:02 まだ読んだことなくてこれから読もうって
2:06 方読もうと思う方でネタバレやだなって
2:10 思う人は聞くのやめといてくださいねはい
2:15 であらすじですけどもえフェレイラ主催
2:17 っていうね尊敬する死であるフェレイラ
2:23 被災が日本で起きしたま舞台はねあの
2:28 キリス選挙に対する迫害が厳しかったその
2:31 時代の日本が部隊であるわけですけども
2:35 フェデラー日本で起きしたという知らせが 入っ
2:37 入っ
2:40 てでま衝撃だったわけですねでそれを聞い
2:46 てま弾圧が強まる日本に岡に渡ったのがえ
2:49 ロドリゴ被災ねま仲間と一緒に渡るんです
2:52 けどま彼が主人公です
2:57 そしてこのロドリゴ被災が日本で過酷な
3:02 迫害を目撃して自らも体験してでま順調
3:05 する人々の姿が描かれ
3:13 てで最後にロドリゴ被災が至った結果結論
3:15 まそれがねハイライトになっていくわけ です
3:16 です
3:20 ねで主な登場人物ですけど
3:25 も主人公ね主役がロドリゴ主催ですね
3:27 カトリックの主催です
3:31 ねで彼のがこのフェレイラ
3:36 被災で一緒に日本に渡った同僚明雄ですね
3:38 えガル
3:46 ペシでこの物語のまね木をね鍵を握るのが
3:51 ま吉次郎という人物でま一向の案内役に
3:53 なっていくわけです
3:57 ねでま彼はま何度も転んだま転んだっって
4:01 いうのは何度もきき何度も聞きて変な感じ
4:06 ですけどねま何度も転んだえま一応新と
4:09 ってことになっているわけですねでまず
4:13 あのま個人的な感想ですけれど も
4:14 も
4:21 えっとねま当時のねこの過酷な弾圧日での
4:24 実際にね順調した人たちがたくさんいた
4:28 わけですよね準教者に対する思いをはせ
4:31 るってことはねねありましたま色々考え
4:36 させられましたじゃあこの物語本編につい
4:40 てはどうかって言うとですねなんかあの
4:44 もう最後の最後までなんか全然あの気持ち
4:50 動かなくってあの没入するねもうそういう
4:53 ことなくてもう最後までなんか気持ち冷め
4:55 たまんまでしたね
5:00 はいまこれまで縁がなかったけどまあそう
5:03 いうことだなって改めて思いました
5:07 ねでま独語に残ったの
5:13 はま感動とかねまそういうこともえなくて
5:17 ねなんすごい違和感ばっかり残ったという
5:19 のがねま正直な感想
5:22 ですでまいろんな違和感があったんです
5:27 けどもまずカトリックの信仰に対する違和
5:30 感ですねまこれどうしても感じるとこです
5:33 よねま私はあのプロテスタントのはいえ
5:35 福音派のまその中でも
5:38 ディスペンセーション主義っていうまあ
5:42 言う人に言わせればかなりゴリゴリな原理
5:44 主義者みたいなところに立ってるんです
5:49 けどプロテスタントの中でももう1番
5:53 あのまそういう原理主義者みたいなねそう
5:56 いう風に言われる立場なんですけどもま
5:59 元々カトリックとはねかなりあの隔たりが ある
6:00 ある
6:05 わけですけどもまやっぱりね違和感は色々
6:07 感じました
6:11 ねでこのね本書の土台ってのはま
6:13 カトリックの信仰であるわけですよねま
6:17 日本にえ当時不教に来ていたってのは
6:20 カトリックがもうメインであったわけです よ
6:21 よ
6:25 ねでま秘跡ってのはカトリックでは強調さ
6:28 れますま7つの秘跡ってのがあってまその
6:31 辺の理解もプロテスタントとは随分違うん
6:33 ですよねプロテスタントで重要な秘跡って
6:37 2つしかないですからねえ洗礼バプテスマ
6:43 とえ生産ねこれにあのえカトリックの秘跡
6:48 って色々あってまこの本書の中ではもの
6:51 その秘跡の中でも度々出てくるのはこの
6:54 国会っていうことですねこの被災のところ
6:58 に行って罪を告白したら許されるよって
7:02 いうまそういうことですねまこれ主催だけ
7:05 ができるとされているものです
7:09 ねでカトリックなのでやっぱりマリアて
7:12 いう存在がねよく出てきますよねえマリア が
7:14 が
7:19 えキリストとの間の仲介者まそういう
7:21 位置付けですよねだからあのメデタ成長
7:26 みちるマリアっていうあのマリアを仲介と
7:29 する祈りを唱えながらそれを数をカウント
7:32 してってそのカウンターがあのえロザリ
7:35 オっていうねあの日本の術みたいなあれ
7:37 カウンターなんですよねあの目し成長みみ
7:40 のマリアてふふんって数えながらあの
7:42 カウンターしていくってものなんですけど
7:47 もだからまマリアに対する呼びかけとかね
7:50 祈りの言葉とかねあマリア様みたいなま
7:52 そういうことも出てきますよねま
7:54 カトリックの人に言わせれば別にあの
7:57 マリアを崇拝してるんじゃないこれは数計
8:00 なんだというわけですけども
8:02 までもこれはカトリックだってはっきりし
8:06 てる立場ですけどもマリアにをえ神格化
8:09 するようなそういう聖書の箇所ないんです
8:12 よねだからそれはカトリックも分かってる
8:16 のでそれは聖書にはないけど伝承であるん
8:19 だていうねまそういう立場になるわけです よ
8:21 よ
8:26 ねであとねやっぱり違和感感じた場面の1
8:29 つでそのロドリゴ被災がねま日本に渡って
8:33 くる途中でえっとシンガポールだったか
8:35 インドだったかによった時にあの
8:39 フランシスコザビエルのお墓に行くとで墓
8:43 詣でするんですよね毎日のように墓に漏出
8:45 たまこれ事実そうだったのかってわかん
8:48 ないですけどもまカトリックでねフラン
8:52 シクザビエルってま成人とされているん
8:55 ですよねまロドリゴの時にはもう成人に
8:57 なってたのか
9:00 なで成人ってっていうのがまたあの守護
9:05 成人とかいてねその守護成人の名前をその
9:08 洗礼で名でいだいたりとかねなんかそう
9:11 いう存在があるんですよねだから非常に
9:14 あの特別な存在になってるんですけどこの
9:17 フランシスシスコザビエルの墓詣を毎日し
9:21 てそして日本選挙への思いをね高めていっ
9:23 たみたいな話があってまそういうところに
9:32 です違和感2つ目ですけどもやっぱりま
9:36 なんで没入できないかって言うとなんかね
9:39 あの背後に作者の意がどうしても見え
9:42 ちゃうんですよねなんかチラチラチラチラ
9:45 見えちゃってまそれもあの物語りに
9:48 入れ込んない原因の1つだったなって思う
9:49 んです
9:53 ねでエンド修作ってどういうあの進行の
9:57 背景があるかって言うとまカトリックでっ
9:58 ていうのはお母さんだったかなま
10:01 カトリック信者なんですよねでカトリッ
10:05 クって幼児洗礼っていうのがありましてだ
10:08 からまプロテスタント一部でもあります
10:12 けどまだ生まれて間もい頃に洗礼を受ける
10:15 んですよねでその時点からもうカトリック
10:18 信者に監督されちゃうのかな
10:24 うんでプロテスタントのねま私たち私の
10:28 立場もそうですけどもね信仰ってあの自発
10:32 的な応答でなければならないと考えるので
10:36 その自由な意識で判断できない時点での
10:38 洗礼バプテスマってね意味ないよねって
10:43 いう立場なわけですけどねまとも各にも
10:47 遠藤修作士はこの幼児戦理も受けていてま
10:52 だからカトリック京都なんですよまでもま
10:56 熱心なしとというわけでもなかったよう です
10:57 です
11:01 ねこのまあくまでもだからこのカトリック
11:05 教徒で幼児洗礼を受けたけど特別え熱心な
11:10 信徒でもなかったていう遠藤修作から見た
11:14 キリスタン迫害の出来事っっていうまどう
11:18 してもねこの背景が読んでてもちらつくん
11:20 ですよ
11:26 ねねだからまそういう感じるのはこの遠藤
11:31 集作の視点とか思いを映させた物語でま
11:34 特にその投影してるのがこのロドリゴ
11:36 あるいは吉次郎とも言えると思うんです
11:38 けどもだからなんか
11:44 ね現代の日本のキリスト教のカトリック
11:50 信徒の遠藤修作の東平っていうねなんか
11:52 すごいそういうことがねちらつくんですよ
11:56 ねなか同じような立場の人はすごい響い
12:00 たりするのかもしれないですね
12:03 で違和感の3つ目ですけども
12:08 えなんかね物語的なお約束ってありますよ ね
12:09 ね
12:13 あの外国人出てきたはずなのになんか普通
12:16 に会話してるみたいなのってありますよね
12:19 異星人やってきたのになんか普通に話し
12:22 てるじゃんみたいなことってあるんです けど
12:23 けど
12:27 あのロドリゴはね
12:31 えポルトガル人かねで日本に到着するやい
12:34 やなんか流暢な日本語で
12:36 コミュニケーションしてるんですよねで
12:48 けどえって感じなんですよそこがねんえあ
12:51 あなたいつそんな流暢な長崎弁理解できる
12:53 ようになったのみたいなあるいはそんな流
12:55 長に日本語喋れるようになったのみたいな
12:59 とこはもうすごいクエスチョンであのそう
13:02 いうとこ気になり出すとあの本当にもう
13:05 物語ってもう没入できないじゃないですか
13:08 だからねいやこれどうなのかなってあの
13:11 物語の形としてどうなのかなってことをね
13:13 あの感じてしまいまし
13:16 たあと前半と後半であの視点が変わるん
13:22 ですよねだから前半は主催の視点ねあの
13:26 ロドリゴの視点でねクリスえセバスチャン
13:30 ロドリゴの所管みたいみたいな形で書かれ
13:33 ていくので1人称で私はって書かれていく
13:34 んですけど後半になるとそれがねいきなり
13:36 3人称になるんです
13:41 ようーんこれ1人称なら1人称で通した方
13:44 が良かったんじゃないかなっていうねまた
13:48 それもすごく違和感があってですね結局
13:52 この俯瞰の視線視点って一輪称にしても
13:55 俯瞰の視点にしても遠藤さんあなた
13:57 でしょっていうようなのがやっぱり感じ
14:04 まあねだからこれも本当に不自然に関した
14:08 ところですで違和感の4つ目ですけどあの
14:14 信仰しかもね順境について取り扱ったえ
14:21 小説であるにしては聖書引用してるのが
14:24 ねなんかすごくまあ少ないんじゃない
14:26 かっていうね圧倒的に少ないんじゃない
14:30 かっていうことですねで用されてるところ
14:35 もねあのまあ一般的なあの読者を想定した
14:38 からかもしれないですけどもそういう限定
14:42 されてるんですよねま福音書とか使用な
14:53 ねねまそういう引用されてる所管も限定的
14:56 なら聖書の適用もねその政権どう適用し
14:58 てるかってところも色々クエスチョンで
15:04 はい
15:09 でま色々違和感があってでま根本的に抱い
15:12 た疑問っていうのはこういうことですねま
15:16 岸次郎であったりロドリゴ被災であったり
15:19 そして何よりこの作者の遠藤修作士です けど
15:20 けど
15:26 も彼ら本当に進行者なのかっていうのが
15:29 最後にもう浮かび上がったまあ最初から
15:34 浮かび上がってま消えるどころか強まって
15:37 いったこういうクエスチョンでし
15:44 ただからこれは進行の物語というよりは
15:48 信仰未満まだ信じるところまで行ってい
15:53 ないま旧道者ですねま旧道者って言います
15:57 けどその旧道車の物語なんじゃないかなっ
16:02 ていうことをええすごく感じた次第です
16:07 はいじゃ2番目ぽっかり開いた穴進学的
16:12 欠損はいえパライソって言葉が出てきます
16:14 ねこれポルトガル語なんでしょうけども
16:17 天国っていうことですよ
16:22 ねでま登場するシトの口からねえ度々出て
16:26 くるわけですねでこんなねあの彼らのま
16:29 賛美科ですねえこういう歌も出てきてね
16:33 マロマロパライソの寺に
16:40 マロま彼らがま礼拝まミサですかねにま
16:45 そういう歌であると思われますけど形状に
16:50 向かいながらねえ彼らがこの歌を歌ってい
16:53 たっていうのでね繰り返し出てきますねえ
17:00 パライソねだからこの教にう信徒たちが
17:04 自分たちはパラソ天国に行くんだまその
17:08 希望を持ってえ向かっていたんだってこと
17:12 がねよく現れていると思いますま実際に
17:15 そうであったということですよ
17:20 ねでパライソって言葉はですからまシト
17:23 たちの口を通して度々出てくるんですけど
17:26 もじゃあパラゾって何かっていう話は書か
17:29 れていないんですねほとほとんど
17:30 ほとんど書いてないです
17:37 ねで言及がないとで主催であるロドリゴの
17:41 口からもパラソとは何かってことはね語ら
17:43 れないんですよ
17:46 ねなんか目の前の
17:51 現実に心を動かされているって感じの描写
17:53 ですか
17:58 ねまですからこの本編の中でパライソ天国
18:03 ま神の国と思いますけどその希望がま具体
18:07 的に語られることはま一切ないということ
18:11 なんですねますごい違和感があるわけです けど
18:12 けど
18:16 もじゃ中教した人人はどうであったかって
18:19 いうのはま本編でもね作中でも歌われて
18:22 いるようにパライソにくっていうのは希望
18:23 だったわけです
18:29 よ自分はねこれから死ぬねこのは滅びる けれど
18:30 けれど
18:34 も自分の例は魂はパラソに行くんだって
18:39 ことがそれが希望であったわけですよ
18:44 ねでまキリスト教のね歴史を振り返って
18:48 みれば多くの准教者たっていうのはもう
18:51 パライソね天国神の国が希望であったわけ
18:52 ですよ
18:59 ねでこの天国に希望を置くま週末的希望ね
19:02 週末に希望を置く週末的希望というわけ
19:06 ですけどもこの週末的希望が実際に信徒
19:10 たちを支えたであろうと思います日本の準
19:12 教者たちもそうであったであろうと思う
19:17 わけですがその週末的希望解かないんです
19:22 よロドリゴはえあなたは彩でしょっていう
19:26 今目の前にいる信者に語ることができると
19:29 すればしかも教に向かう信者に語ることが
19:34 できるとすれば教ねその週末的希望しか
19:36 ないでしょうってところでねロドリ語ら
19:37 ないんですよ
19:42 ねでロドリグって最初からあのへたりなん
19:47 ですよあの最初からま最初のねえ信徒たち
19:51 の住居に接する時もま捕まっちゃうわけ
19:55 ですけどももう不っていうわけですよね
19:58 いやあなた言っちゃダメでしょうていう
20:02 最悪だなと思って彩が不って言ったらそれ
20:05 こそ自分たちの信仰何だったのかっていう
20:07 ねとんでもない裏切りだなと思うんです
20:10 けど最初からねロドリ語ってそういうこと
20:13 口にしてるんですよねだもうその時点で
20:16 もうすでにクエスチョンねこの人本当に
20:18 信じてるのかなってクエスチョンがその
20:22 時点でもつくわけですけどもねで週末的
20:25 希望もまもちろん語らないって感じですよ
20:36 ねでじゃあなんでそんなに欠損してるのか
20:40 まそれは作者の遠藤修作がそうだったから
20:42 というのはもちろんあるんでしょうけれど
20:45 も実際にどうだったかって言う
20:48 とまカトリックというか教会の歴史をね
20:52 振り返ってみてもこの週末的希望っていう
20:58 のはま随分薄れていたんだと思います
21:02 で教会イスラエルから始まるわけですよね
21:05 あくまでもメシアはイスラエルにユダヤ人
21:08 に約束されたユダヤ人のメシアとして来
21:12 られて最初に信じた弟子たってみんな
21:14 ユダヤ人だったわけですよねまそれが
21:18 異邦人にも広がっていってでやがて異邦人
21:21 が教会の中心になっていくわけですねま
21:25 違法人特にあのカトリックの場合には
21:28 ヨーロッパ人ですよね欧州人が中心になっ
21:32 て行きましたでそういう中で本来のヘブル
21:36 的ねヘブル的つまりユダヤ的イスラエル的
21:40 な本来の要素っていうのが排除されていく
21:44 わけですねまさらにはあのユダヤ人って
21:48 いうのはメシア殺しのねキリスト殺しの民
21:51 だっていうのでまそれが非常なあの
21:56 ユダヤ人に対する迫害差別でま最終的には
21:59 それはねナチスによるホコストにまで
22:01 繋がっていくわけですけど
22:05 もそうやってあの本来のヘブル的な要素が
22:09 排除されてしまってでそうなるとね聖書
22:12 ってなんか分かんなくなるんですよね
22:16 イスラエルがも中心にあるねだけどそれが
22:17 なくなってしまう
22:20 とだからイスラエルについて書いてある
22:24 とこどう解釈するのかね予言象を見ていく
22:27 イスラエルについてのさきがあるとあこれ
22:29 はあの
22:31 ユダヤ人についてだでイスラエルを祝福し
22:35 ている箇所があるとこれは教会のことだっ
22:39 ていうねあのすごいあの都合のいいあの
22:46 解釈がえ主流になってきますしえ予言され
22:50 た聖書に記された週末ってこともねなんか
22:52 気迫になっていくわけです
22:56 ねで実際にはこの地上の教会非常に力を
22:59 持っていくわけですよねローマのの国境に
23:02 なってま国家権力と一体化してすごい権力
23:08 を持ってま数の上ではま膨大なキリスト
23:12 信者ができてくわけですよねで世界選挙と
23:17 なるとま様々な国にポルトガルが行って
23:20 それにくっついて選挙士たちも行ってで
23:23 行った先々でわっと信者が増えてこれに
23:26 よってだからこの教会も拡大していくん
23:29 だっていうね
23:32 そうやってこの地上に神の国が広がって
23:37 いくんだまそういう価値観がま当時土台に
23:40 あったのであろうねだから自分たちがもう
23:43 ね教会であって神の国で自分たちの教会が
23:47 拡大することが最終的な神の国の実現に
23:50 つながっていくんだって考えたら週末に世
23:53 の終わりにメシアがやってきてキリストが
23:55 やってきて神の国を打ち立てられ
23:57 るっていうそういう約束ってどうしても
24:00 薄れていきますよねまそういうことがあの
24:04 週末論が気迫になる背景としてね
24:08 え大きな影響を与えていたと思われ
24:14 ますで当時のカトリックのね世界選挙の
24:19 背景まカトリックっていう言い方はあのえ
24:21 行動の教会っていうかま普遍的とかそう
24:24 いう意味なんですよねカトリックこそが
24:29 普遍的な教会であるねでこのリックが教会
24:35 が全世界に拡大して神の国は完成する
24:40 ねそうなるとこの成長が頓挫してしまっ
24:43 たら希望も薄ますよね日本で不興して日本
24:45 で信者がわって増えてる時期は良かった
24:49 けれども迫害が始まってこの頓挫して
24:53 むしろあの減少していくってなるとね希望
24:56 もなくなっちゃいますよねそういうもさも え
24:58 え
25:03 まあ持ってたんではないかなと思う次第
25:07 ですまそう考えると日本に対する不況が
25:11 なされたけれどもそこには本質的にこう
25:16 いう脆弱さ本来の教えを離れてしまったが
25:19 故のね週末論的希望が薄れてしまったが故
25:23 の脆弱者え脆弱差があったんではないかね
25:26 そういうことがま現にあったようです
25:29 けれども主の貴教というようなことにね
25:33 繋がっていたのではないかと思われ
25:37 ますまですからま当然のことであるわけ
25:42 ですけど週末的な希望なしに順調なんて
25:46 ことにこれ耐えられるわけがないわけです
25:50 ねで信徒の苦しみっていうのもねこれ意味
25:53 のないものになってしまい
25:58 ますまロドリゴ主が最後に起してしまう
26:03 わけですけどもま当然の帰着であるなと 思い
26:05 思い
26:09 ますじゃ最後ね結論ですけども信仰の弱い
26:11 ものと強いものと
26:16 はえ騎士次郎がねまこんな主張してるん
26:21 ですね信仰の弱いものと強いものがいるん
26:25 だま自分は信仰が弱いんだねでこれ
26:28 生まれつきで仕方がないんだどうしようも
26:34 んだだから俺はふえを踏むんだっていう
26:35 わけです
26:40 ね仲間を裏切るのもあのロドリゴ被災も
26:43 この吉次郎に裏切られて売られるんです
26:48 けどもで主を裏切るのもこれは弱さから
26:51 出会ってもどうしようもないことなんだっ
26:56 ていうのをま吉次郎はねえ度々主張する
26:57 わけです
27:02 ねじゃあそれはねその弱さっていうのは
27:07 聖書が言う弱さなのかと問われますで
27:10 ロドリゴ被災ですけど
27:14 もあの最後ね踏み絵を踏むんですよねそれ
27:17 についてねこう言ってるんですよねふが
27:22 あの方がいったこうあの方って書いてある
27:22 んです
27:28 ねぼかしてあるところがあのまあ
27:30 ちょっと直接は書けなかったんでしょうね
27:33 遠藤修作はね
27:36 はいであの方が言ったとであの方はこう
27:39 言ったって言うんですねお前たちの痛さと
27:42 苦しみを分かち合うために私はいる井にも
27:46 なすがいいと言ったねあの方が言ってま
27:48 つまにキリストが言ったんだと不と言った
27:51 んだというんです
27:55 がそんなことをイエスは本当に言っている
27:58 のかということですね言っていないのに
28:00 行ったっていうのはこれ偽予言者ですから
28:05 ねまあのどっちかでしょう真実かそうで
28:08 ないかそうでないかていうそうでないって
28:10 ことになればロドリゴは偽予言者になり
28:16 ますし遠藤修作もそういうことになります
28:20 ねでロドリゴは最後に何をやってるかって
28:24 言うと気強したロドリゴのところに吉次郎
28:27 がやってくるんですよねで罪を国会をして
28:28 くれと
28:32 行ってでロドリゴは最初断るんですけども
28:36 いや吉次郎に押されてねそれ引き受ける です
28:38 です
28:41 ねでこんな風に言うわけですじゃこの私が
28:47 唱えよとねそのま国会の祈りの言葉を唱え
28:51 てねま安心していきなさいというわけです
28:53 安心していきなさいてこれイエス様の言葉
28:58 から来てますねイエス様が癒しを求めきた
29:04 人の病いを癒されてまそのその人がね
29:06 イエスはキリストだこの方なら癒して
29:11 くださると信じたがゆに癒されてそして
29:14 その癒された人にね安心していきなさい
29:17 これからもう罪を犯してはなりませんと
29:20 いうわけですけどまその言葉が国会の言葉
29:24 に用いられているっていいうことなん
29:29 でしょうでこれも怖いだなと思ったんです
29:34 がロドリゴ自身がねこの神と人の仲介者に
29:37 なってるわけですよまそもそも国会って
29:41 いうこと自体が疑問なんですけど
29:46 も私たちクリスチャンと神と間の仲介者は
29:48 キリストだけなわけですだからキリストに
29:52 悔い改めるわけですねそこに誰か必要ない
29:53 んです
29:57 よその主催のとこに行って国会しなきゃ
30:00 いけないなると被災がこの仲介者になる
30:01 わけですよ
30:05 ねまその構造自体がおかしいわけですけど
30:08 もロドリゴはそれをね転んでからもやっ
30:11 てるとしかも自分の理屈でそれをやって
30:15 るっていうねさらにあのことが重大
30:19 です仲介者はイエスだけではないのかなぜ
30:22 あなたがイエスにキリストになり変わって
30:25 いるのかということ
30:31 ですで聖書のさですけどもえイエス様こう
30:36 言われていますマタ福音書26章41節
30:39 誘惑に陥らないように目を覚まして祈って
30:44 いなさい霊は燃えていても肉は弱いの
30:50 ですえイス様がね捉えられる直前に月世の
30:55 園で最後の祈りを捧げていたその間弟子
30:59 たちはもう眠りこけたんですね
31:02 あのこういう時の眠ってしまうってのはま
31:04 肉体が疲れていたってのもあるでしょうし
31:07 何よりあの心が閉ざされていたのかなって
31:10 いうのがね伺われるわけですけどもこの時
31:18 ねで1番弟子がペテロであったわけです
31:22 けどもペテロもね集をさらしていますえ
31:25 3度もねイエスなど知らないと言って
31:28 しまったねあいつお前の仲間だろうて言わ
31:30 れていや知らないまそれを3度も繰り返し
31:33 て3度目にはなんか呪いの言葉すら口にし た
31:34 た
31:39 とその瞬間鶏が泣いてイエス様が事前に
31:42 警告されてたわけですねあなたは今晩3度
31:45 私を知らないというよいや決してそんな
31:48 ことはありません他の誰が裏切っても私は
31:51 そんなことありませんって断言していたの
31:53 にこういう
31:58 情けない結果が待っていたわけですでのを
32:00 聞いてねペテロはもシエスの言葉を
32:10 ねまこのように信仰者が抱える弱さって
32:14 いうのは確かにあるわけですで信仰者が罪
32:17 を犯すこともあり
32:22 ますえ信仰者にも罪があるねそのことが
32:26 記されていますヨハネの手紙第11章8節
32:30 もし自分には罪がないというなら私たちは
32:34 自分自身を欺いており私たちのうちに心理
32:41 んしかし悔い改めたら許されるっていう
32:44 ことも記されていますヨハネの手紙第11
32:46 章9
32:52 節もし私たちが自分の罪を告白するなら神
32:54 は真実で正しい方です
32:59 からその罪を許し私たちを全ての富義から
33:07 ますで3度イエスを知らないと言った
33:10 ペテロは食い改め
33:15 ます号泣してそしてイエスを求めて従った
33:17 わけです
33:22 ねそのことがよく現れているのが復活した
33:28 イエスが現れてねでペテロに私を愛する
33:31 かって3度訪ねるわけですねサンド知ら
33:35 ないと言ったペテロにサド私を愛するかと
33:38 言われたでも答えられないんですよね直接
33:42 答えられなくってすごい遠回しに言うわけ
33:46 ですペテロはね私があなたを愛してること
33:48 はあなたはご存知ですっていうそういう
33:52 遠回りな答えを言うまでもそれが精一杯
33:57 だったわけですが確かなのはイエスの招き
34:02 に答えたんですねで私の羊を買いなさいと
34:07 いうねその促しにも応答してそしてペテロ
34:12 はえ弟子としてそして弟子たちのリーダー
34:16 として用いられていくことになるわけ
34:22 です一方悔い改めを拒んだのがユダ
34:26 ですえ最後の晩餐でイエス様ねラスト
34:29 チャンスを与えられんですよねペトロが
34:32 裏切っているっていうのはご存知であった
34:37 わけですけど最後の晩餐捕まる直前のその
34:41 大切な杉越しの祭りの食事の場でイエス様
34:44 はユダだけに分かる呼びかけをされるん
34:48 ですよねこの中に裏切り者が
34:51 いるでみんな誰のことかわかんないですね
34:54 弟たちねだからまさか私のことではとか
34:58 言っても外ざわついたわけですけども
35:01 これすごいポイントなんですけど他の弟子
35:06 たちは誰1人ユダを疑わなかったんです
35:09 ねユダは1人分かってねあバレてると思っ
35:11 て逃げる前
35:15 に捉えなきゃっていうので密告するために
35:18 その場を立ち去るわけですねだけど
35:21 立ち去るユダを見ても誰も疑ってないん
35:23 ですそれでもねなんかイエス様言いつけ
35:26 られたのかなぐらいにしか思ってなかった
35:33 この時イエス様ねあなたのしようとしてる
35:36 ことをしなさいと言われてでユダはイエス
35:39 を売り渡すために去っていったわけです
35:42 けどこの時点でもねチャンスあるんですよ
35:43 ねこの時点
35:47 で悔い改めてれば罪は許されていたはず
35:51 ですよねしようとしていること本当になす
35:54 べきことはイエスの前で食い改めること
35:57 でしたしかし彼はそれをしなかったわけ
35:58 わけです
36:04 ねえユダは自ら破滅を選んでしまい
36:10 ますでユダとペテロと違うのはユダは後悔
36:15 はしたけど悔い改めはなかったということ
36:21 ですで私は正しい人をめてしまったという
36:26 のでえ儀式的な食材をしようとするんです
36:32 ねなので神殿に行くんですけれども祭祀に
36:35 断られるわけですね知ったことかといって 断ら
36:36 断ら
36:38 れるです
36:45 からまユダにしてみればま裏切りですよね
36:49 でその後ユダはま当て付けで自殺して
36:58 ねでそのでユダはこの首を吊ってでその
37:03 死体はえゲヘナを表すゲヘナて永遠の滅び
37:09 ですけどもゲヘナを表すベンキノムの谷え
37:12 イスラエルのね
37:16 え南の方にある谷ですね元々はあのゴミ
37:20 捨て場になっていてでイスラエルが偶像
37:24 礼拝に陥った時にはここでま子供を犠牲に
37:28 捧げるまそういういしい儀式も行われてた
37:31 ペヒノむと言われる谷ですけれどもそれが
37:36 転じて下なえ永遠の滅び地獄を指す言葉に
37:39 なったわけですけどもそこに投げ捨てられ
37:42 たこのことが示してるの
37:49 はユダはまさばかれた永遠の滅びに落ち
37:53 たっていうことですね死んだ人の行き先
37:57 それがもう明確にもう地獄に落ちたって
38:00 いう形でね書かれているのはユダだけと 言え
38:02 言え
38:07 ますでペテロというだ何が違うのかという
38:11 ことですけども結果が示しているのは
38:16 ペテロは悔い改めたでもユダは滅んだと
38:23 です唯一の違いベテルとユダの唯一の違い
38:27 それはキリストの前に食い改めたかどうか です
38:28 です
38:33 ねその2人の結果がその悔い改めたかどう
38:45 ますでキリストの十字架の死これは全ての
38:49 人のため全ての罪人のためにキリストは
38:52 十字架にかけられたわけ
38:57 です聖書が前提として記しているのは人は
39:02 誰もが滅びに至る罪人であるということ
39:07 ですえ誰もがどこか弱さを抱えているわけ です
39:08 です
39:13 ねでま私たちみんなでこぼこなんですよね
39:15 どういう部分が弱いのかって人によって
39:19 違うわけですよね人によってお金に弱いと
39:23 かね性的なことに弱いとか支配欲が強い
39:25 すぎるとか
39:28 ねで
39:31 自分とは弱さが違う人に対してはねなんで
39:34 あんなことしちゃうんだろうっていうわけ
39:37 ですが自分の弱さはコントロールが効か
39:45 ね私たちは誰もがみんな罪人であって弱さ
39:50 を抱えているその私あなたのために主
39:55 イエスキリストは十字架で死なれ葬られ
39:58 しかし死を打ち破って活され
40:03 たこれが聖書の私救い
40:08 ですそして救いは信仰と恵みによります
40:11 エペソびへの手紙2章8
40:15 節この恵みの故にあなた方は信仰によって
40:19 救われたのですそれはあなた方から出た
40:31 です信じたこの信仰に対する一方的な恵み
40:35 が救いっていうことです
40:40 ねそして信仰の成長もまた恵みによると
40:45 記されていますペテロの手紙第23章18
40:49 節私たちの主であり救い主であるイエス
40:54 キリストの恵みと知識において成長し なさい
41:02 えコリントの第13章6節で成長させたの
41:05 は神であるとあり
41:08 ます信じて救われた
41:12 そして次の段階はその信仰がね成長して
41:16 いくことを求められていくわけですが成長
41:18 もまた信仰によって与えられ
41:22 るっていうことですね自分で頑張って成長
41:26 するのではない信仰が成長するのも神に
41:29 よるのだだということです
41:35 ねだから信じて成長して信じてえ信じて
41:39 救われて信じて成長していくね信じたもの
41:43 は御言葉を信じて成長させられていくって
41:50 ですですから信仰っていうのは全てが恵み
41:55 です恵みね神から一方的に与えられるもの
41:58 ですね自分で頑張って獲得するものでは
42:02 ない獲得できるね頑張って獲得できるもの
42:11 ね罪弱さのあるものがただ福音を信じて
42:21 た信じ信じ続けているそれは恵みによるん
42:28 ねですから信仰というのは意思の強さに
42:32 よるものではありません人には誰もそんな
42:42 ね聖書が言う本当の弱さとは
42:48 何かえまこれはまず私が体験的に知らされ
42:50 てきたことですけど
42:55 もま我が家のね息子はダウ章という障害が
42:59 あってで教会に繋がってる子供たちもね
43:05 そういうえ何らかのね障害地的なあるいは
43:09 身体的なね発達障害とかまそういった障害
43:11 を抱えた子が多いんです
43:16 けどま本当の弱さを弱さがある子供たち
43:21 ですよね実感してきたのは本当に弱い立場
43:26 に置かれた人っていうのは自分の弱さを
43:28 言い訳にしないないってこと
43:32 です弱いからできないんだっていうのはね
43:34 これはね
43:40 あの言い訳だなと思うんですねで自分の良
43:43 さを言い訳にできる人っていうのは言い訳
43:47 にできるんですよそういうそういう頭が 働く
43:49 働く
43:54 まあそうですねそう言い訳をするという力
43:57 は持ってる人だなってことをねすごく思う
44:01 んですねだから私は弱くて何もできないん
44:05 ですって人がいず自分のえ身を守るとかね
44:09 え自分を正当化するってなったらすごい
44:13 あのすごいリスでえ反論してくるなんて
44:16 体験も何度かしましたけど
44:18 もだ
44:23 から自分の弱さていうのがねあの身を守る
44:28 術になってるね言い訳のまネタになってる
44:31 まこの特に今の時代ではそういう傾向がね
44:35 すごく強いなと思うんですね私は弱い弱
44:37 いって言ってる人が本当に弱いのかって
44:50 ねで聖書の弱さ聖書の弱さっていうの
44:56 はもう嫌なしに弱さを思い知らされて
44:58 打ち砕かれたものていうことですねもう具
45:01 の根も出ないわけです
45:05 よ私は弱いからうんぬんとかいうことも
45:09 できないねもう自分の弱さを言い訳にする
45:13 余地すらないでもそれが聖書
45:18 に書かれている打ち砕かれた人々の姿です
45:23 ねイエス様そういう人のことを指して心の
45:26 貧しいものは幸いであるとことん打ち砕か
45:31 れものは幸いだななぜならその人はもう主
45:34 にすがるしかないからだだから幸いなん
45:37 だっていうことですねペテルはそうなった
45:42 わけですよ私だけは絶対に裏切り裏切り
45:45 ませんって言っていたのに3回も知らない
45:49 と言ってね呪いの言葉そら口にしたもう何
45:53 もないですよねもう弱さを言い訳にする
45:57 余地すらないもう粉々に打ち砕かれてね
46:01 号泣して主にすがるしか
46:06 ないねだから復活した後もねどうも
46:08 すっきりしてないんですねペテロっていう
46:12 人はね度エルサレムで復活したイエス様に
46:15 会ってるんですよねイエス様にその時に
46:18 ガリレアで会おうって言われ
46:21 てイエス様そのそこから一旦姿消すんです
46:25 ねで弟子たちはガリレアに行くイエス様と
46:27 最も長い時間を過ごししたのがガリエラ屋
46:31 であってそこで待ってるけどなかなか
46:37 イエス様来られないそれできれずにえ両に
46:41 出てま秋を紛らわそうとしたんですかねで
46:44 も何も取れないそこにイエス様が現れて
46:48 ねイエス様が食事を用意してくださってた
46:52 若いの食卓ですねでそこでイエス様ペテロ
46:56 に私を愛するかって3度言われたねペテロ
46:59 何もできなかったわけですよねもう粉々に
47:02 打ち砕かれて復活したイエス様にあった
47:06 けども自分のその心っていうのは砕かれた
47:09 まんまなんですよねだからイエス様待つ
47:13 しかない待つことしかできないでも待って
47:16 いることも待ちきれないね量に出ちゃうっ
47:20 ていうね本当に砕かれきった心が記され
47:22 てると思いますけど
47:25 もだからもうその時のペテロってもイエス
47:28 様すがるしかないんですよねだからイエス
47:31 様が岸辺から声をかけられてね子たちを
47:36 何か食べるものありますかねで最初に
47:39 気づくのはペテロじゃなくてヨハネの方な
47:43 んですよねああの方だイエス様だで気づい
47:47 てペテロはもう飛び込んでイエス様の元に
47:52 向かうこれだけですよねもう心は粉々に
47:56 砕かれてるわけですよねでイエス様って
48:00 いう時にもうもうそこに向かうしかないね
48:04 もうすがっていくしかないそして促される
48:07 ままにも使わされていくしかないっていう
48:08 ことです
48:13 ねでこの時のペテロももはや弱さをね
48:17 言い訳にしたりはしていません
48:21 ねそんなうちもなかったわけですねただ主
48:33 で沈黙の中のえ主人公のロドリゴですけど
48:38 もすごいねあのま自己同着というかねま
48:41 自分に浸ってるまそんな感じがしてなり
48:44 ませんこんなこと言ってるんですねもう
48:48 すごい言い訳の塊りだなと思うんですけど
48:53 もま自分を正当化していってるわけですえ
48:57 自分は彼らを裏切ってもあの人を決して裏
49:00 はいない今までとはもっと違った形であの
49:04 人を愛している私がその愛を知るためには
49:08 今日までの全てが必要だったのだあの人は
49:11 沈黙していたのではなかっ
49:17 たまロドリゴのねこの主張を裏付けるよう
49:23 な聖書の言葉はありませんねむしろま相反
49:24 するもの
49:28 ですね私はま裏切ったって言ってるんです
49:33 よね被災でありながら信徒たちを裏切った
49:37 でもあの方は裏切ってないっていうね体
49:41 名前が言えないっておかしいですからね
49:44 イエス様て言えないその名を呼べないって
49:45 こと自体が
49:51 ね本当にすごく重大なことですね顔と顔を
49:54 合わせた関係をイエスね神は求めておら
49:56 れるイエス様は求めておられるそして
49:59 私たちはの名を呼ぶことができるこれが
50:02 信仰者の特権であるのにロドリゴにはそれ
50:05 ができないまそれはそうだと思い
50:10 ますま本当に盗作してるなと思うんですね
50:14 聖書にあるのは神を愛することと兄弟姉妹
50:19 を愛する隣人を愛するねその2つのことは
50:22 1つのことだよっていうことですね兄弟
50:26 姉妹を裏切るならそれは神に対する裏切り
50:29 だだってこと
50:33 です兄弟姉妹を裏切りながらイエスを
50:35 裏切ってないなんてことはないんです
50:39 そんな主張すること自体がロドリゴが本当
50:45 に盗作にその極に陥っているということ
50:49 ですで食い改めはないわけですよね自己
51:03 え神への愛と隣人愛それを信仰の確信とし
51:08 てシエスが告げられていますマタイ22章 3739
51:10 3739
51:15 節あなたは心を尽くし命を尽くし知性を
51:19 尽くしてあなたの神主を愛し
51:23 なさいあなたの隣人を自分自身のように
51:35 え多くの場合ね人が弱さと呼んでいるもの
51:40 は本当の弱さではなくてずるさ卑怯
51:44 さ全く別の事柄 です
51:53 しかし吉次郎ロドリゴ彼らは神に反抗し
51:57 続けてるわけですねまあ自分に弱さを与え
52:01 たのは神だ神様のせにしてるんですよ
52:04 ねで
52:09 結局自分の良さ認めていないねそれが自分
52:11 の中から出たものだっていうことを認めて
52:14 いないんですよ
52:19 ねもう言い訳に収支しているわけです
52:23 ねだから弱さを認められないまあん
52:26 でしょうねまあ謝れないとか巻を認められ
52:29 ないっていうのと一緒ですよねもう自分の
52:34 プライドですよねそれはねだから表面的に
52:38 は弱さを口にしながら実は自分の弱さを
52:41 認めていない自分のプライドにすって神を
52:45 責めてそしてあるいは自分自身が神になっ
52:50 てるわけです自己正当化して聖書の原則も
52:55 ねじ曲げてこうなんだと自分の思いを神の
52:59 思いにすりいねあの方がこう言ったんだ
53:03 それはキリストではありません
53:10 ねそれは自分の願望あるいは神に背く霊的
53:21 ねま沈黙という小説についての結論こう
53:26 なりますこれは信仰の物語ではなくって
53:30 信仰未満の球道者の物語だっていうこと
53:33 ですこれはその元の出来事がそうだっ
53:36 たってことではありませんからね順調した
53:39 人々が確かにいたその人たち
53:44 はやはりメシアにキリストに希望を置いて
53:49 いたと思います週末的な希望パライソ天国
53:52 ですねイエスがもたらされるパライソ天国
53:57 に希望を置いて状況したと思いますこの
54:01 小説においてはしかしそうではない信仰
54:05 未満の旧道者の物語であると言わざるを得 ませ
54:12 ん吉次郎もそしてロドリゴも真実の食い
54:14 ためには至らない
54:19 ままえこの小説は閉じてい
54:24 ます彼らが体現したこと遠藤修作が記した
54:28 のは人の罪と不審こそのものであると言い
54:32 ますだからまこの先は分かりませんよねで も
54:33 も
54:38 ねえ彼らが生きている限りは悔い改めに
54:43 至るチャンスはあるわけですよねこの先に
54:47 彼らの本当の悔い改めと救いがあるかも
54:54 しれないでもまだそこには至っていないね
54:58 至る気配もないこれがこの沈黙という
55:02 小説であると思い
55:08 ますで進行者が告白できることね
55:13 順境重たいことですよねじゃああなたに
55:18 状況できるのかと言われてはて答え
55:22 られる人はいるんでしょうか
55:28 ねで教者本当に教者となった人たちは誰
55:32 よりも自分の弱さを知っている人だと思い
55:36 ます私は順調に耐え
55:41 られると口にして順境に耐えられた人
55:43 なんていないと思い
55:52 んまた迫害に耐えられるね断言できる人も
56:00 私たちが口にできるとしたらこのような
56:02 ことでしかないと思い
56:07 ます状況できるのかね私にその力はあり
56:14 ませんしかし主が神が全教することを求め
56:15 られるなら
56:19 ば神がそれを必要だとして避けがいものと
56:24 して私の前に置かれるならば私には主
56:27 あなたによって耐える力も与えられると
56:31 信じますっていうことです
56:33 ね私に
56:39 え信教する力があるとは思えないだけども
56:41 神様がそういう風
56:46 にされるのであれば神様ご自身がその力を
56:58 です主に信頼しましょうえ最後にね聖書の
57:01 御言葉を読みしますコリントびへの手紙第
57:11 節神は真実な方ですあなた方を耐えられ
57:15 ない試練に合わせることはなさいません
57:19 むしろ耐えられるように試練と共に脱出の
57:23 道も備えていてください
57:26 ますはいえ今日も聞いてくさって
57:30 ありがとうございましたまたお会いし